「いじめられないために〇〇をする」必要ってある?
【いじめる方にも責任はあるが、いじめられる方にも原因がある】
体育会系のノリが浸透していた一昔前はこんな考えが横行していましたが、今では「いじめられる方に原因があるなんて考え方はけしからん」という考え方が周知され、「いじめとは何があってもいじめる人が間違っている」という認識が一般的となりました。
これは非常に重要な考えです。なぜならばいじめ行為というものは大人の世界では以下のような犯罪行為に該当するため、どのような理由があれ被害者に責任の一端を担わせるのは間違いです。
- 強制わいせつ(刑法第176条)
- 傷害(刑法第204条)
- 暴行(刑法第208条)
- 強要(刑法第223条)
- 窃盗(刑法第235条)
- 恐喝(刑法第249条)
- 器物損壊等(刑法第261条)
※文科省「いじめが抵触する可能性がある刑罰法規の例について」より抜粋
要するに、いきなり道端で殴られた人に対して、「ガードの甘いおまえにも責任はあるんだぜ!」なんて言うのは誰が考えても無茶な話であり、それはいじめにおいても同じです。
そこで、上にも書いた「いじめられる方に原因があるなんて考え方はけしからん」という認識が今では一般的となりましたが、ここでいじめに対して新たな考察が生まれました。
それが「いじめられない方法を考えよう」といったものです。
このスタンスは結構受け入れられているようですが、ボクが違和感を感じるのは「いじめられない方法」があったとしても、対策があるということはその対策を怠ればいじめの被害者となってしまう可能性が往々にしてあるため、結果として「いじめ対策を行った」ことに対する無言の責任追及が生じてしまうのではないかという点です。
いじめる側はいじめを行う対象の服装の乱れや日ごろの態度など、何かしらの要素を探し出しいじめを行います。しかし、本来はそれらの要素があっても「いじめはダメである」という認識だったはずですが、いつしか対策論が講じられ「いじめられないような人間になろう」という認識にすり替わっているように感じて仕方ありません。
いじめは100%いじめる側に責任があります。
そこに対して「いじめ対策」の有無を求めてしまっては、「いじめられた側にも対策(改善)が足りなかったよね」という結果となってしまいます。それは言葉に出なくとも空気感として存在します。
いじめを無くすための努力を子供がしなくてはいけないのが今の子供社会の実態です。でもボクはその努力は本来ならばまったく無駄なものだと思います。
その努力を別のものに向けることができればより有意義な時間を過ごすことができるし、いじめを行う側も同じくそのエネルギーを別のものに向けることに価値があると認識される社会にすべきです。
その為には「いじめって時間の無駄だよね」という至極当然の認識を広めていく必要があると考えます。
明ヶ戸亮太(あけど亮太):経営者×市議会議員
現在41歳:川越市議会議員(現在三期目)・広告会社代表取締役・ICTコンサルタント・ファイナンシャルプランナー / JAPAN MENSA会員 / フィジーカー(APF大会、アスリートモデル部門優勝)
マルチタスク・ラボ
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著書:マルチタスク思考
※川越市のプロフィール(川越市HPより抜粋)
川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置し、109.13平方キロメートルの面積と35万人を超える人口を有する都市です。
遠く古代より交通の要衝、入間地域の政治の中心として発展してきた川越は、平安時代には桓武平氏の流れをくむ武蔵武士の河越氏が館を構え勢力を伸ばしました。室町時代には、河越城を築城した太田道真・道灌父子の活躍により、扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が関東での政治・経済・文化の一端を担うとともに、河越の繁栄を築きました。江戸時代には江戸の北の守りとともに舟運を利用した物資の集積地として重要視されました。
大正11年には埼玉県内で初めて市制を施行し、昭和30年には隣接する9村を合併し現在の市域となり、平成15年には埼玉県内で初めて中核市に移行しました。
川越市は、都心から30キロメートルの首都圏に位置するベッドタウンでありながら、商品作物などを生産する近郊農業、交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、充実した都市機能を有しています。現在も、埼玉県南西部地域の中心都市として発展を続けています。
市内エリア:本庁管内、芳野地区、古谷地区、南古谷地区、高階地区、福原地区、山田地区、名細地区、霞ケ関地区、霞ケ関北地区、大東地区、川鶴地区