尾身の乱は本当に「乱」なのか?

尾身会長の発言で広がる波紋

新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長より、オリンピック開催にあたり開催推進に動く政府には耳の痛い発言が続いています。その内容は以下の通りです。

  • パブリックビューイングなどがあれば人流増が懸念される。感染リスクの増大をしっかり考えていただきたい(5月26日、 衆院厚労委)
  • 今の状況で(大会を)やるのは、普通はない。何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない(6月2日、 衆院厚労委)
  • 五輪は普通のイベントとは規模が違う。当然、人の流れが生まれる。スタジアムの中だけを考えてもしっかりとした感染対策はできない(6月3日、参院厚労委)
  • ジャーナリストやスポンサーが(規則集を)順守してくれるか。選手より懸念があるのは、専門家の一致した意見だ(3日、参院厚労委)

このようにオリンピック開催にあたり、非常に慎重な立場を取っていることがわかります。緊急事態宣言が続く中、新型コロナウイルス対策を最優先に考える立場である以上は当然の発言ですが、一部メディアではこの尾身会長の発言を「尾身の乱」と称して報道をしています。

しかし、これは本当に「乱」と呼ぶべき発言だったのでしょうか?

新型コロナウイルス感染症対策分科会とは?

そもそも新型コロナウイルス感染症対策分科会とはどのような組織なのでしょうか?

この組織は内閣総理大臣直結の組織である「新型インフルエンザ等対策有識者会議」の下部組織となっております。

図で表すと以下の通りです。

そして、新型コロナウイルス感染症対策分科会設置根拠を見ると、尾身会長(分科会)の担いは内閣総理大臣に「新型コロナウイルス感染症対策に関する事項」についての意見を提言する立場にあります。

ここからも尾身会長の担いは「いかに日本のコロナ感染拡大を防ぐか」という点に絞られていることがわかります。

議論がぶつかることは当然の結果

尾身会長の発言に対して、田村厚労相の「自主的な研究の成果の発表」発言や丸川五輪相の「別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらいというのが私の実感です」発言からも政府の見解とのズレが浮き彫りになっていますが、そもそもオリンピック開催には・スポーツ・経済・コロナ対策の三つの視点がありまる。

その中でも尾身会長はその立場からもコロナ対策に限定されているため、三つの視点を兼ね合わせたオリンピック開催と意見が完全に一致することはない。というよりも一致すること自体が不自然です。

そのような状況の中、メディアの「尾身の乱」といった見出しは政府見解の不一致といったイメージを植え付けるミスリードであると考えます。

ミスリードが生じた訳

ではそのミスリードはどうして生まれたのか。それは先述した両大臣の発言に起因していると考えます。

尾身会長の発言はあくまでも「コロナ感染拡大をいかに抑制するか」がポイントとなっており、「オリンピック開催のためにコロナ対策をどうすべきか」という視点ではありません。しかし、田村厚労相も丸川五輪相も尾身氏の発言をまるでオリンピック開催のための与党一員の発言として受け止めていることが要因ではないしょうか。

総選挙が近づき、オリンピックが政争の具となっている昨今、国会議員もメディアもその動きが加速しているように感じられます。
オリンピックが持つ本来の目的である「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」に対して、ブレることなく議論を重ねていくべきであり、権力闘争のネタとすることだけは避けなくてはいけません。


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明ヶ戸亮太(あけど亮太):経営者×市議会議員
現在40歳:川越市議会議員(現在三期目)・広告会社代表取締役・ICTコンサルタント・FPのマルチタスク / JAPAN MENSA会員
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