【政治とカネ】政治家=選挙で選ばれた人=不正は行わない?
政治とカネの問題について
2023年11月、神戸学院大教授の上脇博之氏の告発により自民党議員複数名による政治資金パーティを巡る「政治とカネ」の問題が発覚しました。
政治とカネの不適切なつながりは、政治家と特定の関係を持つ個人・団体との癒着政治を引き起こし、政治不信を増長させていますが、このような「政治とカネの問題」は何十年も繰り返され、いまだ解消されることなく今に至ります。
「政治改革」の背景
1993年から2001年に行われた「政治改革」(行政手続法・情報公開法・公務員倫理法・政策評価法の制定)は、まさに今問題視されている政治とカネの問題から始まりました。
当時は今以上に政治家の資金管理は不透明で、多くの場合、企業や団体からの献金が中心でした。これにより、政治家と特定の利益団体との癒着が生まれ、政治の信頼性が低下。そこにメスを入れるために断行されたのが当時の政治改革でした。
しかし、なぜ政治に金がかかるのか、政治と金の透明性をどのように確保すべきなのかと言った根幹の議論はほとんど行われておらず、この問題への着手が骨抜きの理由の一つは、日本の政治は政権交代がほぼ行われない状況が続いていることが原因であり、結果として上澄みの選挙制度の問題にすり替わっていったのです。
政治資金の透明性を確保するために
政治資金は金額が大きいこともあり、名義や団体を複数用意する「抜け道」が存在します。また、寄付行為についても年間5万円以下であれば記載の必要はないとされていますが、透明性の確保にはすべての寄付行為やパーティ券購入の金額について、1円からすべて提供した個人、企業、団体の氏名を公開すべきだと考えています。
というよりも、民間では資金の流れを紐づけるために領収書が大いに役立ち、1円からの添付が義務付けられているのは皆さんご存じの通り。ならば政治資金の透明性を確保するためには1円からの領収書の添付必須化は当然の対処ではないでしょうか。
仮説:企業からの献金
具体的な仮説を立ててみましょう。
ある政治家が特定の大手企業から多額の献金を受けた場合、その政治家はその企業の利益を優先する可能性が高まります。たとえば、環境問題に対して厳しい規制を求める法案が議論された場合、その企業は自社の利益を守るための法案になるよう政治家に働きかけるでしょう。
その企業がこれまで何千万円もの寄付をしていた場合、企業の利益誘導の提案に対して毅然とした態度で臨める政治家はそうそういないでしょう。
こうした癒着が、公共の利益を損なうことに繋がる明言できるものではありませんが、公共の利益を損なう可能性を大いに秘めていることは想像に難くありません。
なぜ政治に金がかかるのか
上脇博之教授は、政治に金がかかることはやむを得ないとの立場を取っています。決して極端な「政治(選挙)にカネをかけるな」という姿勢ではありません。
その問題への対処として、政治資金の透明性確保のためにも有権者が政治資金収支報告書をチェックし、金の使い道に厳しく対処することが必要だと主張しています。言い方を変えれば政治とカネの問題を解消する一つの方法として、有権者が政治家の資質を見抜くスキルを身に付け、その意思表明を選挙で実施することです。
政治でお金がかかる大きな要因は選挙に向けての政治活動が主な要因です。政治家は自身の選挙地盤における有権者からの支持を維持し続けるため、日ごろからのお付き合いやあいさつ周りなどに必要な人材の確保、活動拠点の維持管理にコストがかかります。選挙で勝つことが政治家の最低限の権力基盤を確保するため、選挙に向けての政治活動にコストをかけるのは避けられないことです。
しかし、この活動は自身の当落に関わる有権者に重点を置くため、関わりのない有権者が疎外される傾向があります。その結果、国会議員が本来果たすべき「国益」の観点からの政策立案や利害調整などの活動に対するコストや時間が軽視される傾向にあります。
性善説からの脱却
ボク自身、地方議会に約12年間身を置いており感じたことは、議員は議員に関する規則(条例含む制度全般)を設ける際は性善説に基づいて議論を進める傾向にあります。
これは議員と言う立場が選挙を経て選出されたという経緯もあり、有権者の代表=その代表を疑うことは有権者を疑うこと=議員は正しき人間という理想論の上に成り立った解釈です。
しかし、報道を見ればわかる通り、不正を行う政治家は日本中に散見されます。ボクはスキャンダルなどの倫理観に基づく行為については当事者で話し合ってくれという考えです。しかし、行政は有権者から税金を預かる立場であり、政治はその預かった税金の使途に介入することが職務である以上、お金には特に高い倫理観を持ち合わせるべきですが、現実はそうではありません。
現行の性善説に基づいた議論を行うのではなく、政治家自身に関与する制度設計にも「不正が起こりうる可能性がある」ことを前提に議論を進めることが、政治とカネの問題を解消するための第一歩となります。