【ご報告】政党に所属しました。
無所属8年の時を経て、国政政党に所属しました
2010年、議員になる前に「みんなの党」に所属し、2014年に解党。無所属となりました。
その後、二回の選挙を経て2022年12月まで無所属で活動してきましたが、この度様々なご縁があり「日本維新の会」に所属しました。
政党のメリットは地方、国共に連携が取りやすい点です。
これまで12年間、川越市議会議員として教育政策&行政改革を中心に取り組んできましたが、その取り組みは国政政党の中でも日本維新の会がもっとも力を入れている(同時に自分の考えに近い)政党であると考えています。
しかし、その政策についても完璧だとは言いません。
国が掲げているものが地方の実態と異なることは往々にしてあります。
地方行政目線から見れば維新の政策が100点満点だとは言えない時もありますが、それらの改善点は党内地方議員で議論を重ね、精査したものを地方議員から党内国会議員を経て国に意見できるのが政党の最たる強みだと考えますし、維新にはその度量があると期待をしています。
そして、政策について。
維新は「次世代への投資」という言葉を掲げている通り、教育政策にも力を入れています。
ボクも議員となり12年一貫して「将来への投資」というキャッチコピーを掲げ、教育政策に注力してきました。
これまでのような「5教科の点数が高い=立派」だけではなく、いかに人間力を高めるか、いかに目まぐるしく変化する社会実態に即した学びを身に付けるかがこれからの教育に欠かせない視点であると主張し続けてきました。
ここに教育費無償化という「教育機会の均等化」を取り入れた維新の教育政策をボクの中に落とし込むのにさほど時間は必要ありませんでした。
そしてもう一つ大きなきっかけとなったのは「身を切る改革」です。
正直な話、ボクはこのキャッチコピーは着飾っている感がありあまり好きではありません。
しかし、議員報酬(歳費)はコロナ禍においては益々重要性を増している政策であると考えます。
というのも、議員報酬は民間の給料と異なり報酬という名の通り役職に付随するものであり、政治的な成果の是非を問われることはありません。
その様な中、新型コロナウイルス感染症の蔓延やウクライナ情勢による物価高の影響から、民間企業の業績は良くて横ばい、多くの企業は下降傾向にあり、これらの経済的問題には政治の責任が伴います。
であれば全国の地方議会をはじめ国会議員報酬に民間企業並みの削減がなされなければ、政治に携わる者の「民間感覚の鈍化」は避けることができません。
維新では議員報酬(歳費)の削減で「政治への信頼」を掲げることがありますが、ボクはそれにプラスして民間感覚を研ぎ澄ますためにも議員自らが報酬の削減に手を付ける必要があると考えます。
2020年にコロナの蔓延により日本経済が停滞した時期、議員として期末報酬(ボーナスのようなもの)が夏冬変わらず支給されたことに大きな疑問と危機感を抱きました。ボクは2020年から2022年の三年間の期末報酬計6回分約600万円を児童養護施設へ寄付をさせていただきましたが、これは善意のみならず、自身の身を引き責めるためでもあります。(詳しくは過去のブログ「ひろゆきさんとの「児童養護施設へのPC配り企画」を終えて。」をご覧ください)
この取り組みを自発的に行っている維新。議員とはどうあるべきか、といった点において強く共感しています。
と、まるで維新の政策にすべて共感しているかと言われればそうではありません。
維新の掲げる政策402項目に対する自分の考えは改めて動画などで解説しますが、内8.5割は賛同、1割は慎重派、0.5割は懐疑的と言った考えです。
政党の所属するなら100%賛同が理想ですが、政党に所属していて100%賛同している議員は存在していないと思います。多分。
むしろ、噛み合わない点を党内で議論することで政党政策の精度が高まることが理想です。
そのような意味でも、維新の政策がより精度の高いものとなるための取り組みができることは非常に楽しみです。
とはいえ議員辞職した今、ボクの発言力はゼロに等しいのが実態です。
まずは来年に控えている選挙において、発言力の持てるだけの結果を出すこと。
そして今抱えている社会的問題に対して、政党人として政治の場から改善策を打ち出し、形にする。その為にも引き続き奮闘してまいります。
明ヶ戸亮太(あけど亮太)
1981年生まれ:前 川越市議会議員(三期)・広告会社代表取締役・ICTコンサルタント・ファイナンシャルプランナー / JAPAN MENSA会員 / フィジーカー(APF大会、アスリートモデル部門優勝)
マルチタスク・ラボ
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著書:マルチタスク思考
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※川越市のプロフィール(川越市HPより抜粋)
川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置し、109.13平方キロメートルの面積と35万人を超える人口を有する都市です。
遠く古代より交通の要衝、入間地域の政治の中心として発展してきた川越は、平安時代には桓武平氏の流れをくむ武蔵武士の河越氏が館を構え勢力を伸ばしました。室町時代には、河越城を築城した太田道真・道灌父子の活躍により、扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が関東での政治・経済・文化の一端を担うとともに、河越の繁栄を築きました。江戸時代には江戸の北の守りとともに舟運を利用した物資の集積地として重要視されました。
大正11年には埼玉県内で初めて市制を施行し、昭和30年には隣接する9村を合併し現在の市域となり、平成15年には埼玉県内で初めて中核市に移行しました。
川越市は、都心から30キロメートルの首都圏に位置するベッドタウンでありながら、商品作物などを生産する近郊農業、交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、充実した都市機能を有しています。現在も、埼玉県南西部地域の中心都市として発展を続けています。
市内エリア:本庁管内、芳野地区、古谷地区、南古谷地区、高階地区、福原地区、山田地区、名細地区、霞ケ関地区、霞ケ関北地区、大東地区、川鶴地区